2025/8/7
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正しい情報とは? |
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『あしたのために』2025年 第12号── 正しい情報とは?── 【2007年5月号より】 ここ10年くらい、私の日曜昼の過ごし方は、13時25分からの『アタック25』で脳を活性化させ、15時からの『ドリーム競馬』で多くの場合ガッカリして、その後放心状態になる――というのが定番だった。 最近はその合間に放送されている『たかじんのそこまで言って委員会』を、よく見ている。 番組では、政治・国際・教育などの様々な問題について、専門家が詳しく語ったり、コメンテーターたちが好き放題言いまくったりするのだが、先日、環境問題を取り扱った回の内容は、まさに目からウロコが落ちるものだった。
……など、私が信じ切って社会の授業で教えてきたことと真逆の「事実」が次々と明かされた。 詳しく知りたい人や疑問に思った人は、ぜひ武田邦彦氏の著書『環境問題はなぜウソがまかり通るのか』(洋泉社)を読んでみてほしい。 私はどちらかというと、物事を疑いの目で見てかかるタイプで、自分では「だまされにくい」と思っていたのだが、完全にしてやられた。 そういえば、数年前まで小学4年生用の社会テキストに、「木の年輪の幅が広い方が南で、狭い方が北」というウソが掲載されていたことを思い出す。これは『トリビアの泉』の「ガセビアの沼」というコーナーで、その間違いが指摘されていた。 しかし、その『トリビアの泉』ですら、番組内の情報の一部に行き過ぎがあったというのだから、もはや何が正しくて何が間違っているのかは、自分で判断するしかない。 情報の真偽は、さまざまな情報源に触れ、総合的・客観的に考察した上で、自分自身で結論を下すしかないのだ。 なお、教科書の内容が後に修正されたり、歴史的認識が塗り替えられたりすることも、別に珍しいことではない。 例えば、「ゴッドハンド」と呼ばれた考古学者による遺物捏造事件や、逆に新たな遺跡や遺物が見つかって歴史が再構成されることなどが挙げられる。 だから私は、特に社会の授業において、「〜です」と断定する言い方はなるべく避け、「〜と言われています」と伝えるように気をつけている。 知ったかぶりで「ウソかもしれないこと」を堂々と教えるのは、やはり気が引けるからね。 塾講師という職業は「情報の提供」で成り立っているが、「正確に伝える」ことの難しさを、年々痛感している。 【2025年の細川より】上記のネタのうち、「ダイオキシンが猛毒」という話は、現在では完全に否定されたようです。ただ他の武田教授の説は、「あくまでも彼の理論によれば」という但し書きをつけた方がよいのかもしれません。 そして私たちは「コロナ禍」という未曽有の社会的・医学的事態を経験し、5年が経った今でも、ワクチンの是非についての明確な結論は出ていません。 かく言う私も、2020年は「コロナそのもの」よりも、むしろそれによる「周囲の環境変化」によって心も体もズタボロになった、人生最悪の一年でした。 しかしその体験があったからこそ、新たな人生の歩み方を模索して見つけ出し、今へとつながっているのです。 人は、「失敗」なくして本質的に学ぶことはできません。 かつて「確立した」と自負していた自らの生き様が完全に崩壊し、大きな「失敗」の経験を経て再構築した結果、より進化した生き様へと変貌を遂げました。 (この経緯については、また別の号で詳しく触れることにします。) 「時代とともに、正しいことの一部は変化する。」 そのことを認識した上で、変わらない「真理」を見失わずに守り続けること。そして、「時代」に取り残されないように自らも変化し続けていくことが重要、と痛感させられました。 ちなみに、この『あしたのために 2025』の文章も、自らの草案を生成AIの力を借りてより洗練されたものへとレヴェルアップさせ、さらに自らが修正を加えるという、正に「新しい技術」と「人間の知性」との融合によって作成されたものです。 真実を見極める目は、他人から与えられるものではない。 |
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